「スカイ・クロラ」制作記録 最終回「光と音が、画面に満ちて・音響、そして完成」

■ 映画の半分は音で出来ている

「映画の半分は、音で出来ている──」

 押井監督が、映画制作における音響の重要性について語るときに、必ず口にする言葉だ。想像して頂きたい。......

 テレビの音量をOFFにして、いかに素晴らしい映像作品を観ても、作り手の意図は全くと言って良いほど伝わってこない筈だ。特にアニメーション映画は、実写映画と違い、現場で台詞や音を録音(同録)する事が出来ない。画面に登場する全ての情報は、白い紙に描き出す為、出来上がった映像には台詞は勿論、効果音もついていない。それはまだ、平面のスクリーンに映し出される映像に過ぎないのだ。映画は、スクリーンのみならず、劇場全体に音が充ち満ちてはじめて、世界を形作るのである。最終回は、押井監督が映画の完成へ向けて最も力を注ぐ音響(音楽・効果音・台詞)について記し、映画制作という長い旅をしめくくる事としよう。


■ 2つのオルゴールデモからテーマ曲が生まれた

 「スカイ・クロラ」の作画作業が折り返し地点にさしかかった2007年12月10日、音楽を担当する川井憲次氏から押井監督のもとへ、2パターンの音声ファイルが届いた。
 川井氏は、押井監督と長年タッグを組み、音楽によって押井守の作品世界を支えてきた、日本を代表する作曲家である。近年は「リング」や「デスノート」シリーズ等、大ヒット作品の音楽を次々と手がけ、海外での評価も高く、ヨーロッパでサウンドトラックの売り上げが上位に食い込む、数少ない作曲家のひとりである。押井監督は、彼以外と組むことは考えられない──と、川井氏への賞賛を惜しまない。
 押井監督と川井氏が、映画の音楽を作り始める初期段階には、必ず2つのテーマが平行して話し合われる。ひとつ目は、映画の世界観を表現する音楽性の方向について語り尽くすこと。もうひとつは、楽器の選定である。押井監督は、特定の音楽の趣味を持たない。毎朝、起床後にモーツァルトをかける以外は、ジャンルにこだわって音楽を聴く事がない(iPodには、落語の演目がズラリと並んでいる)。ジャンルに傾倒しないが故に、音楽に対する知識は幅広く、深い。古今東西の楽器を知り尽くした押井と川井氏は、映画音楽の方向性を固めつつ、必ず作品のテーマを象徴する楽器を据えるのである。「スカイ・クロラの音楽の方向性について、押井は当初こう語っていた。

 「今回は、弦(楽器)を中心にして、鳴り物(打楽器系)を極力無くしたい。キルドレたちの生きる停滞した日常も、死と隣り合わせの空も、ピーンと張り詰めた、緊張感のある弦の旋律で表現したいんだ」

 「スカイ・クロラ」における音楽の方向性を決定づける出来事は、先に記した2パターンのオルゴール曲を聴いた時に訪れた。川井氏から提示された本編に登場するオルゴールのメロディに、押井が強烈な反応を示したのだ。2曲のうち1曲は、これまでの、押井・川井コンビの系譜とも言える、どこか寂しげで、心がざわつくような旋律の曲だった。誰が聞き比べても、「押井作品らしい」と絶賛しただろう。しかし押井監督が選んだのは、もうひとつのメロディだったのだ。

 「確かにこの曲(1曲目)は、これまでの川井君の流れにあるものだよ。緊張感があって、情緒が揺さぶられる。でも今回描くべきは、キルドレたちのドラマなんだ。草薙水素という強烈な想いを抱いたキャラクターの感情を乗せてゆくメロディが必要なんだ」

 川井氏の提示したもうひとつの曲は、甘い情緒的な響きを帯びつつ、永遠の時を生き続けてきた草薙水素の秘めた強烈な心情を、見事に宿していた。押井は双方のメロディを何度も聞き比べ、煙草をくゆらせながらじっと黙考した後、川井氏に電話をかける。「『スカイ・クロラ』では、このオルゴール曲を、全編を通して貫きたい──」と。


■ 生の演奏をコンピュータ上で幾重にも重ね合わせる

 押井の意向を受けた川井氏は、アイリッシュハーブやハイランドハープ等、数種類ものハープを集め、先のテーマ曲を日本屈指の奏者に奏でて貰い、コンピュータ上で幾重にも重ね合わせることによって、今まで誰も聞いたことのない、弦による壮大な音楽世界を作り上げた。川井音楽の真骨頂は、最高の演奏家が演奏した楽器を、コンピュータ上で幾重にも重ね合わせ、合成する事によって、オーケストラでは決して再現できない、圧倒的な音楽世界を表現する点にある。
 キルドレたちの運命を象徴するオルゴール曲も、一切シンセサイザーを使わず、特別なオルゴールで再生する板を職人に依頼して制作し、ヒロイン・草薙水素たちの繰り返される日常を、繊細な旋律によって表現している。予告編の冒頭に流れているコーラスは、「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」で、世界中にその名を知らしめた「西田車中」が担当。また、日本にひとつしか存在しない中国古来の巨大な鐘を自ら演奏し、空のはるか彼方で鳴り響く、死の世界を予感させる事に成功している。
 全ての作業が終わった後、川井氏はこうつぶやいた。

 「今回はとても難しかったと思います。空戦シーンを、鳴り物(打楽器)で盛り上げる演出法を一切使わずに、弦の響きだけで、戦闘の激しさや悲しさを表現しなければならなかったですから」

 押井監督と共に、川井憲次氏もまた、今までの演出手法を敢えて封じ、新たな音楽世界を生み出そうとした。その挑戦は見事に成功し、映画の世界と、キルドレ達のドラマを包み込んでいる。


■ 米国・スカイウォーカーサウンドにおける音響作業

 映画音楽の次に必要な「音」は、効果音である。効果音とは、画面の内外で発せられる森羅万象の音の事である。映画の効果音は、大きく3つに分けて考えると理解しやすい。ひとつめは、「アンビエンス=環境音」。普段我々が気にとめることのない、空気の音や電化製品の機械音、鳥のさえずりや風の音といった、我々の世界を包み込む音だ。ふたつ目は、「フォーリー=生音」と呼ばれる、登場キャラクターが意識的に動くことによって発せられる音──足音や服の衣擦れ音、コップを机においたりする音を指す。三つ目は「サウンドエフェクト」。我々の日常に存在しない音──戦闘機の爆音や機関銃の発砲音等、新たにデザイナーが作り出した音である。映画の効果音制作は、この三位一体の効果音を、映像にひとつひとつ重ね合わせてゆくことによって行われる。効果音があってはじめて、平面の映像と観客との間に、映画の世界が存在するのだ。

 「スカイ・クロラ」の効果音は、米国・サンフランシスコにあるジョージ・ルーカスの音響スタジオ「スカイウォーカーサウンド(SW)」にて制作された。SWは、選りすぐりの音響スタッフが、恵まれた環境で音響作業のみを行う、世界最高峰の音響スタジオである。東京23区二個分あるという広大な敷地の所在は、公的に一切明かされておらず、サンフランシスコ市内から自動車で一時間強の山奥に、一切の看板を設けずにひっそりとたたずんでいる。周囲には、人工的に音を発する設備が一切無い。文字通り、アンビエンスのみで包まれた別世界だ。押井監督は「イノセンス」に引き続き、SWサウンドでの音響作業に臨んだ理由について、次のように語っていた。

 「残念ながら、今の日本で、SWほど潤沢な設備と時間をかけて音を作り込む事が出来る環境は望めない。日本の音響スタッフの職人技術は、米国スタッフに決して劣るものではないけれど、SWに蓄積された膨大な音のストックと、ゆとりのあるスケジュールの中で制作する体制にはかなわない。何より現場で作った映像を、日本とは別な場所に持ち込み、違った環境から眺める事によって、客観性が生まれるんだ」

 「スカイ・クロラ」の音響効果は、SWで最も優れたサウンドデザイナー・ミキサーのひとり、トム・マイヤーズと、数々のハリウッド映画でアカデミー音響賞を受賞したランディ・トム以下、SWが誇る最高の音響スタッフたちが担当した。
 押井監督は彼らに、戦闘機のエンジン音から、機体に着弾する弾丸の種類、キルドレ達の日常をリアルに浮き上がらせる様々なシチュエーション全ての音を、リアルに表現する事を求めた。そのこだわりは、草薙水素が飲むワインのグラスの材質にまで及び、
「もっと高級なクリスタルグラスの音を」という押井監督の要望に、SWのスタッフがスタジオ中を走り回って最高級のグラスを入手して、再録音がなされた程だった。本編をご覧になる際は、水素が優一と共に、ワインを飲むシーンのグラスの音に耳を澄ませて頂きたい。

 ひとつ、SWの効果音制作のこだわりを示す例をあげよう。ヒロイン・草薙水素の乗る車は、ある特定の年代のポルシェをモデルにしているが、SWのスタッフは押井から年代と車種を聞き、サンフランシスコ中の人脈を駆使して、本編に登場するポルシェと同じ年代の車種を入手した。驚くべきはそれだけではない。音を収録する際に、車体の外側、運転席、エンジンルーム内、タイヤの回転軸、タイヤと地面の接地面等、別々の場所に単体のマイクを仕込み、個別に収録しているのである。映画を観た、自動車に詳しい関係者は、水素がポルシェから降りて会話をしているシーンの背後で聞こえる、エンジンが次第に冷えてゆく音までが再現されている事に気づき、目を丸くしていた。

 通常、劇場アニメーションの音響効果作業は、半月からひと月ほどで行われるが、「スカイ・クロラ」の効果作業は、仕込みから数えると3ヶ月以上の期間を費やし、最終的なミックス(調整)作業には、押井監督自らが渡米し、2週間立ち合う事となった。
 更に注目して頂きたいのは、映画に登場する最強の敵・ティーチャーの乗る「スカイリィ」という戦闘機のエンジン音である。圧倒的な存在感でキルドレ達を撃ち落とすティーチャーの戦闘機のエンジン音には、巨大な獣が咆哮するような音が合成されている。単なるリアルな効果音だけではない、音もまた監督の意図を受けた「演技」をしているのである。ティーチャーの戦闘機が、キルドレ達の載る戦闘機・散香を追うときの音響はまるで、百獣の王が、獲物を追いかけるときの咆哮のように聞こえてくる筈だ。
 トム・マイヤーズは作業終了後のインタビューでこう語っている。

 「押井サンとの仕事から学ぶことは多い。我々が普段関わっている多くのハリウッド作品は、プロデューサーの意向によって、観客を飽きさせない為に、隅から隅まで、みっちりと音をつける事が求められる。更にその上に、全編で鳴り響く大音響の音楽が加わるんだ。押井サンの作品は、音楽だけで情緒的に引っ張るところもあれば、効果音だけが静かになり、観客の緊張感をあおったり、時にはまったくの無音で、観客を別な世界につれてゆく、音の力を駆使した演出に満ちている」

 「スカイ・クロラ」は、6.1チャンネル(劇場のスクリーン側左右中央と、後方左右中央の6つのスピーカーと、サブウーファー(重低音))のスピーカーに音を回す、最高の音響システムで制作されている。ぜひ「スカイ・クロラ」は、スクリーン(出来れば6.1チャンネルに対応した劇場)でご覧頂きたい。押井監督以下音響スタッフが、映像内のみならず、劇場空間全体に仕込んだ音響世界を堪能して頂ける事だろう。


■ キャラクターに魂が宿ったとき

 「スカイ・クロラ」のボイスキャストは、日本を代表する四人の若手俳優がメインキャストをつとめた。ヒロインの草薙水素役に、「バベル」でアカデミー・主演女優賞にノミネートされた菊地凛子。主人公・函南優一訳に、「硫黄島からの手紙」他、国内外で活躍する加瀬亮。優一の相棒、土岐野役には、テレビでその端正な顔を見ない日はない人気俳優、谷原章介。物語後半の重要なキャラクター、三ツ矢役に、CM・テレビ・映画で幅広く活躍する栗山千明。

 これまで押井監督は、声優という、声によってキャラクターに命を吹き込む職人たちの技術を高く評価し、実写映画やテレビドラマで活躍する俳優達を起用してこなかった。手で描かれた平面のキャラクターに、「声というキャラクター」を乗せる事によって初めて登場人物達に命が宿る、と考えているからである。また、実写の俳優が声を乗せた場合、現実の俳優の顔が、アニメーションのキャラクター像に影響を与えてしまう可能性も否定できない。何故、押井監督は、「スカイ・クロラ」において、メインキャストに俳優を起用したのか。理由はひとつ。思春期の姿のまま、永遠に生き続ける「キルドレ」というキャラクターの特殊性だった。
 「スカイ・クロラ」の主人公であるキルドレ達は、外見は子供のままでありながら、時に成熟した大人の感情を持ち、時に幼さを帯びた台詞を発しなければならない。外面と内面が異なるため、ひとつのキャラクター像でくくる事の出来ない存在なのである。押井監督は、各キャラクターごとに60~70人のボイスオーディションを行い、数ヶ月にわたって、イメージに合う声を探し求めた。そして、草薙水素は菊地凛子氏と、函南優一は加瀬亮氏と出会ったのである。

 「アニメーションの声というのは、不思議なものなんだ。実写であれば、演じている役者の身体がそこに存在する。しかしアニメーションのキャラクターの肉体は、スクリーンの中にしか存在しない。自らの声を画面に向けて飛ばし、まるで魂が人形に宿るかのように演技する。(菊地)凛子も加瀬君も、見事に応えてくれた」

 そして押井監督は、菊地氏と加瀬氏の演技作りが映画にもたらした効果について、後にこう語っている。

 「今回、ふたりの役作りは対照的だった。凛子は初めから「水素はこういう声だ」と決めてから、アフレコの中でその声を演技に落とし込んでいった。第一声から、そこに水素が存在したんだね。その後、徐々に水素というキャラクターに慣れ、感情を乗せていった。一方加瀬君は、優一というキャラクターの画に対して、自分自身を合わせながら乗せていった。彼は、自分の中で納得が生まれないと役に入ってゆく事が出来ない俳優だ。だからこそ、アニメーションではあり得ない膨大な時間(加瀬氏のアフレコは合計24時間以上にもなった)を使って、優一というキャラクターを理解していったんだ。故に、初めからその基地に存在する水素と、この基地に初めてやってくる優一というキャラクターを、ふたりが別々なアプローチで演じた事は必然だった。初めてこの基地にやってきた優一が、初めからキャラクター性を強く持っていてはいけないし、ずっと優一を待ち続けていた水素が、徐々にその感情を露わにする課程が表現できなければ、この映画は成立しなかった」

 土岐野役の谷原章介氏は、膨大なテープの中から押井監督自らが選出。押井監督曰く「文句なし」の見事なアフレコが行われた。栗山千明氏は、脚本段階から押井監督がイメージし、その期待に見事に応え、物語の後半に鮮烈な印象を与えている。加えて、押井が最も信頼してやまない榊原良子氏(笹倉役)を中心に日本を代表する声優達が脇を固め、「スカイ・クロラ」の世界を生き生きと浮き上がらせている。尚、押井の友人である竹中直人がバーのマスター役を演じ、マスターのパートナーである女性役に、ウルトラセブンのアンヌ隊員を演じた、ひし美ゆり子氏が声をあてている事も、ファンにはたまらない見所ならぬ、聞き所となっている。

 音楽・効果音・台詞。三位一体が2年間かけて作られた映像に乗せられ、2008年4月19日、「スカイ・クロラ」は完成初号を迎えた。


■ 映画制作という長い旅を終えて

 映画制作という長い旅は終わったが、押井監督と我々は、8月2日(土)の公開へ向けて、宣伝キャンペーンという新たな旅を続けている。
 先日押井監督がキャンペーン中のインタビューで、「スカイ・クロラ」のメインコピーである「もう一度、生まれてきたいと思う?」になぞらえ、「監督はもう一度生まれてきたいと思うか?」と問われる場面があった。
 押井は「もう一度、今の年齢にから生まれてきたいよ(笑)」と冗談めかした後、真顔になってこう言った。

 「今回の作品は、本当に悩んだ。それは若い人たちの映画だから。彼らの生きる日常とその気分を想像して理解しようとする事は、とても苦しく、難しい事だった。一方、空のシーンを描くときは迷わなかった。まるで、キルドレたちのようにね」

 「スカイ・クロラ」は、齢57歳になる押井守が、今を生きる若い人たちの心情の奥底に手を伸ばし、その実感を丸ごと描こうとした作品である。故にこの場で、安易な言葉で映画を締めくくる事は控えよう。
 ひとつ言える事は、この連載で紹介してきた、企画・脚本・制作、そして今尚続いている宣伝キャンペーンに至る迄、押井監督をはじめ、誰ひとりとして作品のテーマを見失わず、一貫し続けているという事実である。キャンペーン中に押井監督が熱く語る言葉のひとつひとつが、本企画を立ち上げた3年前と同じように、目の前に立ち上がってくる。映画監督とは、自らが打ち立てたテーマを、最後まで貫き通す才能を言うのかもしれない。「スカイ・クロラ」程、企画から制作、宣伝・配給・興行に至るまで、これほどテーマが終始一貫した作品は無いだろう。
 押井監督の、次の旅の下準備も始まっている。しかし映画制作は、映画の興行的成功があって初めて、次の旅に出る資格を与えられる。今我々は、映画公開という審判の日を待ちながら、不安と恍惚の中で、宣伝活動に没頭している。この映画を、今を生きるひとりでも多くの方々が劇場でご覧になる事を、心からねがってやまない。


 2008年7月24日
「スカイ・クロラ」スタッフ一同


※ご愛読頂きました「スカイ・クロラ 制作記録」は、岩波書店より「アニメはいかに夢をみるか ─スカイ・クロラ制作の現場から」と題して、8月6日に出版されます。