「スカイ・クロラ」制作記録 第3回 「コタツから物語が生まれる」前半

 映画制作の初期段階において、押井守監督が最も時間をかけて進めるテーマの提示と、世界観・映像表現の一致。半年間に及ぶ企画検討期間を経て押井は、作品を通して伝えたいテーマと、それに即した映像表現のイメージを言葉にしながらスタッフ編成を固め、製作委員会の招集にも積極的に関与していった。......

押井が、自ら企画書を携え、製作委員会メンバーひとりひとりに手渡した企画書には、A4用紙2枚のプロットが記されていた。そこには、森博嗣の手による原作を、いかにして映像化するかという骨子が記されていた。ここで多くを記すことは出来ないが、プロットには、壮大な原作のシリーズ構成を2時間の映画に収める為のストーリー案、そして大胆なラストシーンの変更案が含まれていた。
 
■ 「イノセンス」の総括から始めたい

 2004年に公開された押井監督の「イノセンス」は、日本のアニメーション映画として初めて、カンヌ国際映画祭のコンペティション部門にノミネートされ、国内外で高い評価を得た。ビデオパッケージも異例の売り上げを見せ、ブルーレイディスク版も、数多の海外メジャー作品をさしおいて、売り上げの上位に入り続けている。一方、劇場興行に関しては、目標動員数に今一歩届かなかった。

 「スカイ・クロラ」の企画書を書き上げた直後、押井はこう提案する。
 「イノセンス」に関わってくれた製作委員会の方々に集まって貰い、『イノセンス』という作品とは何だったのか、「総括」の場を設けたい──と。
 そして、こう続けた。

 「自分は、勝ち負けにこだわり続けたい。小品であれ大作であれ、作品を勝利に導くための戦略が無ければ勝利はあり得ない。その為には、過去に学ばなければならない。『イノセンス』に関わってくれた人たちと会って、『イノセンス』とは何だったのか、内容面、宣伝・配給・興行に至るまでに何が行われたのかを総括し、『スカイ・クロラ』で勝つための戦略を組み立てたいんだ」

 そして、2005年8月11日(木)、都内某所に、「イノセンス」製作委員会のトップが集う事となる。押井はこう口火を切った。

 「日本の映画界には、不思議な慣習があると思う。良い作品を作れば、結果は自ずとついてくる、という楽観論だ。一方で、作品が公開された後、成功も失敗も含めて、何が起こったのかを、誰も総括しない。映画にとって何が成功で、何が失敗だったのか。それを次の作品につなげなければ、前進はあり得ない。本日は、ここに集まって下さった皆さんと共に、「イノセンス」という作品は何だったのかを忌憚なく語って頂きたい。そして、今自分が考えている次回作に賛同して頂ければ、再び仲間になって欲しい」

 関係各社からは、作品に対する高い評価が上げられる一方で、「人間は何故、自分の似姿を作り続けるのか」という哲学的なテーマと共に繰り出される膨大かつ難解な台詞回しによって、間口が狭められたのではないか、という意見が複数上がった。多くの観客に観て貰う為には、ドラマ性の高い、解りやすいシナリオが必須だったのではないか──。押井は、ひとりひとりの発言にじっと耳を傾け、多くを語ろうとしなかったが、その目は一点を見据え、揺るぐことがなかった。

 その後、押井は決断する。本作の脚本を、第三者に委ねること。そして、物語の主人公キルドレの心情をリアルに理解する事の出来るであろう、若い女性の脚本家を探そう、という事になったのである。


■ 脚本家・伊藤ちひろとの出会い

 押井は当時、アニメーション映画における脚本家の立ち位置について、こう発言している。

 「アニメーションの脚本というのはとても難しい。実写であれば、実際の役者を想定して書く事が出来るが、アニメーションは何も無いところから、世界観・キャラクターを生み出さなければならないという性質上、実写の脚本の様には行かない。一方、アニメーションを専門としている脚本家の中に、今回の作品に適した脚本家がいるかと思うと、それも難しい。「スカイ・クロラ」で描きたいのは、情緒的なドラマだからね」

 押井作品は、アニメーションでありながら、限りなく実写的な演出が特徴である。一方、全ての映像を手仕事で生み出すというアニメーションの性質上、脚本段階で、描き手にインスピレーションを与える映像的具体性が無ければならない。その両者を書く事の出来る脚本家──しかもそれが若手で、女性の脚本家というのである。プロデューサーの石井は早速押井の意向を受けて脚本家探しを開始するが、難航を極めた。

 第1回で記した様に、出会いは劇的に訪れた。行定勲監督を介して、当時若干23歳であった脚本家、伊藤ちひろと出会う事になるのである。
場所は、神楽坂にある本書き旅館「和可菜」。2005年12月28日の事だった。
出席者は、監督の押井、プロデューサーの日本テレビ奥田誠治と石井、行定勲監督、そして伊藤ちひろだった。伊藤は、原作を面白く読んだ事を告げた後、物怖じもせず、押井にこう問いかけた。

 「私は、監督が描いてきたような、SF的な世界観や、難しい設定などを考える事が得意ではありません。私に出来るとすれば、物語の主人公に自分を重ね合わせて、書きながらその世界を知ってゆく、という書き方です。それでも良いのでしょうか?」

 押井は、この言葉を聞いたとき、伊藤に脚本を委ねることを決意したに違いない。愛娘との対話によって、今まで自分が得意としてきたSF的設定と世界観を主軸に物語を紡いでゆくのではなく、主人公・キルドレの抱く死生観を持ってドラマを作り上げてゆくことをテーマに掲げていた押井にとって、伊藤との出会いは僥倖であったというより他はない。押井は答えた。

 「君の感じるように書いて欲しい。この作品に必要なのは、キルドレたちの抱く気分だ。
この世界の設定に関しては、僕の方で書く。戦闘機の映画だから空戦シーンは不可欠だが、そこは自分の得意とするところだから、空けておいて貰って構わない」


★後編につづきます。