「スカイ・クロラ」制作記録 第4回 「ドラマを演じるキルドレたち」後半
■ 巨人の国のキルドレたち
「スカイ・クロラ」の主人公キルドレたちは、思春期の姿のまま、それ以上年をとらないという特徴を持っている。見た目はティーンエイジャーだが、中身は大人。押井は企画当時、こう発言していた。......
「あまり知られていないことだけれど、実は子供が戦闘機やロボットに乗る、という設定そのものは、日本のアニメーションにおいて珍しい事じゃない。ガンダムだって、エヴァンゲリオンだって、ロボットに乗って戦うのは十代の若者たちだった。日本のアニメーションは、子供が戦闘機やロボットに乗って戦うという、世界的に見ても珍しい歴史をたどってきているんだよ。そういう意味では、「スカイ・クロラ」の世界で、プロペラ戦闘機にティーンエイジャーが乗っているという設定は、珍しいことじゃない」
しかしキルドレ達は、外面はティーンエイジャーだが中身は大人であるという点が、原作の持つ、これまでにない、最も魅力的な設定だった。押井は企画当時、原作のキルドレ達の持つ、独特の距離感に注目していた。
「彼らは必要以上に他人に関わろうとしない。他人に対して必要以上に干渉しようとしない。表面的には親身につきあう一方で、どこかで距離を置いている。そして、誰もが、何を考えているのか、どこか曖昧なところがある。これって、今の若い子たちにとても似ていると思うんだ」
キャラクターの心情や考えを、膨大なダイアローグを介して語ることを禁じてとした押井は、キャラクターの佇まいや表情で、彼らの気分を表現しようとしていた。そして、先に挙げたテーマを具体化する為の方法論を、ひとつひとつ言葉にしていった。
ひとつは、キルドレを巡る様々な対象物との対比によって、彼らが子供である、という事を表現する、という発明だった。予告編の映像をご覧頂きたい。抜粋した映像からは、断片的にしか判らないが、キルドレたちは、大人のキャラクターと比較して極端に背が低い。キャラクター設定上でも、主人公の優一の身長は、160センチメートルと小柄である。また、人間の対比だけではなく、彼らが生きる世界を構成する建物や机、椅子なども、まるで巨人の世界に迷い込んだかのように、大きくデザインされているのである。
「アニメーションのキャラクターが表現できる年齢の幅は狭い。子供であればおチビちゃん。年寄りであれば、シワシワの爺ちゃん婆ちゃん。でも、10代のキャラクターと、20代のキャラクターを描き分ける事そのものが、手描きのアニメーションではとても難しいことなんだ。一方で、安易に彼らが子供であると言うことをキャラクター化してしまうと、今度は内面が大人である、という事が表現できなくなってしまう。今回はその微妙な線をねらうために、キルドレたちを取り囲む大人の世界そのものを、通常よりも大きくデザインしたいと思う」
ぜひ劇場で、キルドレ達が生きる世界の縮尺に注目して頂きたい。当初、画面の精度を求める現場スタッフの間からは、キルドレ達と部屋や家具の大きさの差のギャップに
違和感が発生するのではないか、という懸念の声があがったが、押井は徹底的に、「スカイ・クロラ」の世界を「巨人の世界」としてデザインする事にこだわった。
「リアルな設定をいくら積み上げてもダメなんだ。その中にひとつ、リアリティを打ち壊す異質な要素を加えないと、映画は転がってゆかない。「攻殻機動隊」の原作に流れる神道的世界に、映画ではキリスト教を持ち込んだように、キルドレたちの世界にも、ある違和感が必要なんだ」
実写的リアリティを追求する一方で、世界そのものの大きな「違和感」を持ち込む。世界観が完結してしまうと、そこからは何も生まれない。大きな嘘が、映画的リアリティを生む。世界を緻密に構築する一方で、そこに何かしらの異分子を挿入すること。唯一の大人のパイロット「ティーチャー」を、原作から大きくクローズアップしたのも、その為だったと押井は言うが、これは作品の中身に触れることなので、言葉を連ねる事は控えよう。
■ 西尾鉄也が出した答え
次に必要だったのは、多くの台詞を費やさずに、キャラクターの心情を表現する為のデザインだった。そこで押井が掲げたのは、とことんキャラクターを動かすことだった。押井作品は、そのリアルで緻密な世界観から、「作画枚数が多いように思われているが、実際には他の劇場作品と比較しても、驚くほど少ない。後述するレイアウト重視の演出により、キャラクターが止まった状態(=トメ)で独自の表現を確立してきたからだ。
しかし「スカイ・クロラ」において押井は、とにかくキャラクターに「演技」をさせる事を要求した。電話を取る草薙水素の腕の微妙な動き。優一がタバコを取り出して火をつけるまでのたっぷりとした間。犬と戯れる少女の無邪気な走り。映画の中に時間を発生させ、キルドレ達の抱く「気分」を、台詞を介さずに伝える為に、繊細な動きをキャラクターに要求する事が必要だったのだ。
言うまでもないことだが、アニメーションは、キャラクターを一枚一枚、パラパラマンガのように描いて表現する。線が多ければ多いほど画はリアルになるが、動かすことが難しくなる。押井は、キャラクターに微妙な演技付けをする為に、デザインを極力シンプルにする事を要求した。
そして西尾が提出したのが、映画「スカイ・クロラ」のキャラクターたちである。今までの押井作品と比較しても、線の多さや造形が、とてもシンプルになっている事がお判り頂けるだろう。また、多くのアニメーションのキャラクターは、キャラクターを見分けやすくする為に、ギザギザでとがった髪型をしている(特に昨今は「萌え」の対象として、髪の造形そのものが、現実にはあり得ない形になっているキャラクターが多い)が、キルドレたちの頭は皆、ツルッと丸くなっている。これは西尾が、キルドレ達が振り向いたり、頭をかしげたりする際に、極力演技に集中できるように、余計な造形をそぎ落としていった結果なのだ。結果、「スカイ・クロラ」の作画枚数は、過去の押井作品の中でも異例の量に達することとなった。劇場で、作品に流れる独特の時間を感じて頂けるとすれば、それは、キャラクターの無意識の動きまでが、一枚一枚表現されているからに他ならない。
また、生きる実感が希薄になった現代の若者たちとキルドレたちを重ね合わせる為に、キャラクターの目の瞳孔を大きくし、色指定も薄めにする事によって、敢えて意志を主張しないキャラクター造形を目指している。キルドレたちの目は、我々現代人の心の空白を映し出す鏡としてデザインされている。それ以外にも、主人公の優一が子供である事を表現する為に、頬を通常の主人公像よりも丸くふくらませたり、パイロットスーツを着たときには肩幅を狭くして、子供が新しい制服を着たときの様に表現したり、服を脱ぐと、驚くほど華奢で子供っぽかったり......と、押井が描こうとするキルドレのイメージを、西尾鉄也がありったけのテクニックを投入して造形している。
■ 何故、おかっぱだったのか?
最後に、何故草薙水素がおかっぱだったのか、記しておこう。
ショートカットを主張する西尾に対し押井は、髪が頬にかかっている事の重要性を強調した。
「常に顔が見えている髪型では、水素の微妙な感情の機微を表現できない。風に揺れる髪先や、優一を横目で誘惑する時に頬にかかる髪。そして指で髪をかき上げて耳にかける時の色っぽさ。微妙な感情表現が難しいアニメーションにおいて、髪というのはそれそのものが、キャラクターの感情を表す大事な要素なんだ。今回描きたい事、そのどれをとっても、草薙水素はおかっぱ以外にありえない」
結果、草薙水素はご覧の通り、黒髪のおかっぱ頭にデザインされる事になったのだが、ぜひ劇場で、草薙水素の髪の動きにも注目して頂きたい。押井が語ったように、草薙水素の複雑かつ強烈な感情を表現する為に、髪の毛がいかに重要か、お解り頂けると思う。
後にプロデューサーの石井が、「ところで何でおかっぱだったんですか?」と問うと、
押井はこう答えた。
「好きだからに決まってるじゃん!」
言わずもがな。押井守の代表作「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」の主人公草薙素子も、実写映画「アヴァロン」のヒロイン・アッシュも、おかっぱ頭なのであった。



