「スカイ・クロラ」制作記録 第6回 「妄想を具現化し、世界を設定する」後半

■ 「スカイ・クロラ」で目指した演出

 そして今回、「スカイ・クロラ」において押井は、画コンテに新たな演出的野心を盛り込んでいた。
それは、キャラクターに無意識の芝居をさせる事であった。アニメーションとは、キャラクターの動き=演技を、全て(意識的に)手で描く芸術である。......

すなわち、無意識などあり得ないのだ。しかし、完成した画コンテには、明らかに、アニメーターに無意識の演技を要求するシーンが、そこここに見られた。150秒という本来あり得ない長いカット(アニメーション映画の平均カット秒数は5秒~10秒である)の中で、キャラクターがどのように動き、演技をするのか細かく記されていたのである。脚本の項で記したように、「スカイ・クロラ」はこれまでの押井作品と比較して、極端に台詞が少ない。キャラクターがひと言ふた事会話した後、数十秒の沈黙が、画面を支配するカットもある。これまで、長大な長台詞で時間と空間を埋めてきた押井的演出方は、文字通り封印されたのだ。
 何故押井監督は、新たな試みを行ったのか。全ては、テーマ(の項にリンク)にさかのぼる。「スカイ・クロラ」で押井監督が描きたかったこと、それは今を生きる日常に倦んだ現代人の写し鏡であるキルドレたちの気分を、丸ごと描くことであった。気分は言葉に出来ないし、そもそも意識的ではあり得ない。押井監督は画コンテに、キルドレ達の無意識の演技をこめ、スタッフに伝えようとしていた。この、おそらく日本のアニメーション史上始めての演出的試みの挑戦する事となったアニメーター達の苦労は、想像を超えるものだったが、それは次回、作画の項で記すことにしよう。


■ 実際の戦闘に立ち会っているかのような空戦シーンを

 加えて、音響的演出を意識する押井の「スカイ・クロラ」における演出的特徴を披露しよう。「スカイ・クロラ」の空戦シーンの画コンテは、メカニックデザイナーの竹内敦志が担当した。竹内は、本邦随一のデザイナーとして誉れ高く、空戦シーンの画コンテも数多く手がけてきたベテランである。
 竹内が描いた画コンテは、目覚ましいものだった。紺碧の空に散香が舞い、コックピットに激しく打ちつけられるパイロットの息づかいが生々しく聞こえてくる。空と機内の切り返しが、激しい空戦の様子を生々しく伝えていた。何しろ竹内は、今回の画コンテ執筆の為に渡米し、戦闘機の実機に乗りこんで実戦を体験してきた程なのだ。
 しかし押井は、竹内の画コンテを大胆に編集した。よくよく読むと、空戦中、コックピットの内部と外部とのカットの切り替わりが極力省かれ、まるで空のどこかを飛んでいる別な戦闘機に設置されたカメラから、実際の空戦が中継されているようである。
押井監督は言った。

 「実戦の流れを、音響的に寸断したくないんだ。今回の空戦は、6.1チャンネルのスピーカーに音を回して、実際の空で空戦を体験しているように演出したいんだ。コックピットにカメラをふってしまうと、そこで音の流れが止まってしまうからね」

 映画の音響については後述するが、「スカイ・クロラ」は、6.1チャンネルで構成されたスピーカーに、音響を振り分けるシステムで音響制作されている。スクリーン側に左右中央(3ch)、劇場の後方に左右中央(3ch)+重低音(0.1ch)の合計7つのスピーカーが配置され、立体的に音が聞こえるように作られているのだ。
 たとえば、後方から戦闘機が飛んできて、頭上を抜けて前方へと飛び去る場合。音を後ろのスピーカーから聞こえるように設計し、前のスピーカーへと移動させる事により、空間的な音響空間が実現する。押井監督は「スカイ・クロラ」で音響空間をリアルに作り込む為に、空戦シーンにおいて極力カット割りを廃し、観客が実際の空戦に立ち会っているかの様な演出を目指したのである。


■ 画コンテから設定へ

 最終的に画コンテが製本されたのは、2006年10月31日。プロデューサーとラインプロデューサー以下、制作部のスタッフは、画コンテを元に設定の割り出しを開始する。
設定とは、西尾が手がけたキャラクター設定の、世界観版である。アニメーション映画は、数百人ものスタッフが手分けして制作を行う為、世界観にまつわる設定が無いと、シーンによってバラバラな世界が生まれてしまう。プロデューサーと制作スタッフは、画コンテに描かれた物語を、シーン(場所)、や時間帯に分け、「いつ」「誰が」「どこで」繰り広げる話なのかを整理し、設定表にまとめる。設定が足りなければ、作品制作は円滑に進まないし、無駄な設定の発注は、スケジュールの遅れと制作費の浪費に繋がる。いかに合理的な設定表を作ることが出来るかが、制作部の腕の見せ所である。

 押井監督が妄想し、ロケハンで撮影した膨大な資料をもとに、押井作品の美術設定の中枢を担ってきた渡部隆、美術監督の永井一男と補佐の久保田正宏、小物やポスター等のデザインを一手に引き受けた2Dデザイナーの南條楊輔が、分厚いファイル数冊にも及ぶ、膨大な設定を描きあげた。ロケハン前から、キャラクター設定に着手していた西尾鉄也も、映画に登場するヨーロッパ現地の人々や、草薙水素や函南優一の着用する制服やパイロットスーツのデティールをブラッシュアップしていった。キャラクター表では、主人公たちが暇つぶしに訪れるボーリング場で履く、ボーリングシューズの裏側までデザインされている。

 全ての設定には、押井が入念なチェックを入れたが、押井が最もこだわったのは、キルドレたちが所属する戦闘企業・ロストック社の設定である。物語の舞台は、国家間の戦争が消滅し、戦争企業が「ショーとしての戦争」を繰り広げている世界である。皮肉な事だが、現実の世界においても、戦争で培われた技術が、そのまま我々の日常生活の中で使われている様々な技術と繋がっている。押井は、キルドレ達が使う日用品、ビール、タバコに至るまで全てをロストック社製としてデザインする事を指示した。世界観という映画全体の世界観をデザインする為には、細部を作り込まなければならない。細部にこだわって初めて、世界観全体が浮き上がるのである。映画をご覧になる際は、ぜひ主人公たちの使う日用品にも、注目をして頂きたい。

 押井監督が、企画・脚本・ロケハン時に妄想した世界観のイメージが、メインスタッフの手によって具現化され、全てのスタッフに手渡された。
 そして、アニメーション制作という、長い旅が始まった。