「スカイ・クロラ」制作記録 第8回「劇場アニメーションの誇り・背景美術」
■ 手描きで照明・レンズ効果を描き分ける
作画によって表現されるキャラクターが、ドラマを演じる役者だとすれば、背景美術は、映画の「世界」そのものである。想像してみて欲しい。画面にキャラクターだけが存在し、背景が真っ白だったら、映画の中に世界は存在し得ない。......
「スカイ・クロラ」の背景美術の中枢を担ったのは、美術監督の永井一男である。ロケハンで「スカイ・クロラ」の世界観を押井の言葉によって伝えられた永井は、膨大な設定資料を描きおこし、30人近くの背景美術スタッフと共に、映画の世界を白い画用紙へと描き出していった。作画の項で、押井作品におけるレイアウトの重要性について述べたが、もうひとつ重要な要素として、照明やレンズの絞り効果について触れておきたい。
草薙水素の司令室を描いた、2枚の美術画を見比べて欲しい。一見、両者は同じ時間帯のように見えるが、両者ともほぼ同じ、日中のカットである。このカットは、ヒロイン・草薙水素が初めて正面顔で登場するカットの背景だ。初登場の、ヒロインの正面顔のアップは、観客にとって決定的な意味を持つ。我らがヒロインが、何の前振りもなく、いきなりアップで登場してしまっては、観客は興ざめしてしまうだろう。故にこのカットで押井は、窓外にレンズの絞りを合わせ、室内が暗く見えるように設計している。本編では机に反射した光が眼鏡に映り、表情をうかがい知ることは出来ない。一方、もうひとつのカットは逆に室内に絞りが合い、水素の表情がハッキリ見える分、窓の外は白く飛んでいる。このカットでは既に観客が草薙水素の存在を認識している為、ドラマを進行させる為に初めから表情を露わにしているのである。
■ 建築物に世界が宿る
今回、押井が永井以下、背景美術スタッフに対して最もこだわったこと。それは、物語の舞台となる世界を丸ごと描くことだった。押井が最も大切にする映画の世界観を表現する為に、膨大な写真と資料とを組み合わせ、妄想を具体化したのが、永井と背景美術スタッフたちであった。広大なアイルランドの大地をなめるように低く流れる雲。数千年の時を経て横たわる古代遺跡の数々。キルドレ達が迷い込むポーランドの街──。永井は、押井作品初参加で、美術監督という重責を任されたが、それまでの永井の作品集を見た押井監督はこう評価した。
「アニメーションの背景を見極めるときに大事なのは、屋外ではなく屋内なんだ。空や自然は皆、上手い。でも、室内や建築物のディテールや照明、光の差し込み方には、明らかに背景美術としての腕の差が出る。永井君の作品集を見たとき、注目したのは室内の画だった。木の質感や窓から差し込む光、その中に浮かぶ塵の存在感等が見事に表現されていた。彼ならば大丈夫だと思ったんだ」
押井作品は、室内や建築物の中で繰り広げられる事が多い。「イノセンス」をご覧頂ければ、そのシーンの殆どが室内で展開する事がお解り頂けるだろう。建築物とはすなわち、その建物が存在する場所、時代、歴史が反映されている。私たちが異国を旅する際に、街を見てその街の経てきた歴史を感じるのは、建築そのものに、歴史が詰まっているからに他ならない。「スカイ・クロラ」も、建築物の宝庫である。永井以下、背景美術スタッフは、2万枚以上のロケハン写真と、段ボール数箱分の資料を元に、リアルであるが誰も観たことのない世界を作り上げた。
余談だが、試写で「スカイ・クロラ」をご覧になった元サッカー選手の中田英寿氏は、映画の後半の舞台となったポーランドの街の名を言い当てた。ぜひ劇場で2時間、アイルランドとポーランドの大地を、キルドレたちと共に旅して頂きたい。



