「スカイ・クロラ」制作記録 第10回「光と音が、画面に満ちて・撮影/ビジュアルエフェクツ」

■ 映画のクオリティを、2倍、3倍に引き上げる方法論

 押井監督は、作品のクオリティコントロールは勿論、スケジュールや現場管理においても、優れた陣頭力を発揮する監督である。常にその指揮の背景には、自らを戦時下の作戦参謀に例える監督らしい、緻密な戦略と理論的裏付けが存在している。「スカイ・クロラ」の作画・背景・仕上(キャラクターへの着彩)の作業が終盤に近づきつつあった時、押井はこう発言していた。......

 「アニメーション映画制作において、最もコストパフォーマンスが高いのは、仕上げ(この場合は、先述のキャラクターへの着彩行程ではなく、撮影・ヴィジュアルエフェクツ(VE)・音響作業といった最終工程の事を指す)段階なんだ。職人たちの手で一枚一枚描く以上、作画や背景のクオリティを、劇的に向上させる事は難しい。たとえスケジュールを倍に延ばしたとしても、画面に表れるクオリティは、多くても1.5倍位だと思う。だからこそ、コストパフォーマンスの高い仕上げ作業への投資を惜しんではいけないんだ」

 アニメーターや美術スタッフ各々の職人技術に委ねられるパートは、元々高い能力を持ったスタッフたちが、もてる限りの力を投入しているからこそ、経験と日々の積み重ねによって質の向上を図るしかない。3DCGにおいても同様だ。画面を作り込めば作り込んだだけ、レンダリング(コンピューターでの計算作業)時間は増大し、限られたスケジュールと予算を圧迫する。
 一方、撮影・VE・音響作業といった映像制作の最終段階においては、勿論優秀なスタッフの存在が不可欠だが、スケジュールと予算的戦略を緻密に組み立てれば、時に作品の質を2倍、3倍と向上させる事が可能なのだ。残念ながら、多くのアニメーション制作の現場では、とかく作画や背景美術面に重点がおかれがちで、仕上げ行程に潤沢な予算やスケジュールが割り当てられる事はまれである。押井監督は企画段階から、プロデューサーにこう依頼していた。

 「仕上げ段階の予算とスケジュールをケチらないで欲しい。仕上げには、かけた分だけハッキリとしたクオリティの差が出るからね」

 押井監督は、映像の最終仕上げ工程と音響作業に最も力を注ぐ、日本でも数少ない監督のひとりである。「スカイ・クロラ」は、作画面は勿論、アニメーション映画としては破格の予算とスケジュールが、最終仕上げ段階に投入することが求められた。


■ 照明と空気感を平面の画に持ち込む

 先に述べたように、アニメーションは、背景の上に、キャラクターが重ねられ、合成(撮影・コンポジット)する事によって完成する。しかし、それだけでは手で描いた「画」の域を出ない。「スカイ・クロラ」の作画スタッフは、平面の紙に、実写さながらの奥行きをともなった空間を描くことが出来る優秀なスタッフばかりだったが、只コンポジットしただけでは、押井作品は完成しない。何か物足りないのだ。
 この、物足りなさの理由は何だろうか。それは、「空気感」と「光」、そして共に生ずる「影」が、まだ画面に満ちていないからである。誰もが、街頭で、テレビや映画の撮影現場を目撃したことがあるだろう。そこで演じているのは、我々と同じ日本人であり、ロケーションも、我々が普段目にしている場所である。ところが映像になると、見慣れた筈の風景が全く別の世界のように見えてくる。監督の意図を受け、カメラマンがレンズを通して世界をフレームで切り取り(レイアウト)、役者がドラマを演じ(キャラクター・作画)、特殊効果スタッフが雨を降らせ、スモークを発生させ、照明スタッフが画面に光と影を生じさせているからだ。
 押井監督は、アニメーションの画面に、実写的撮影技術を積極的に取り入れてきた監督である。かつて、デジタル制作に移行する以前は、マルチプレーンカメラ(背景やキャラクターを多重の撮影台に配置して、立体的なカメラワークを実現するカメラ台)や、レンズフィルター効果等を駆使していたが、手描きのキャラクターと背景とをPCに取り込んだ後、様々なソフトウェアを使って映像に効果(エフェクト)を加えられるようになって以降、VEに並々ならぬこだわりを投入してきた。


■ 最後の一筆が、画面を劇的に変える。

 「スカイ・クロラ」で、押井監督の求める実写的な空気感や照明効果を具現化したのは、押井の30年来の盟友である演出の西久保利彦(彼は西久保瑞穂名義で多くの作品を生み出してきたベテラン監督でもある)、そして押井作品に欠かすことの出来ないVEスタッフ、江面久である。
 江面の手によって、手で描いた平面の世界に、空気感と照明効果が加わる事により、押井守の思い描いた世界が、実在感を伴って立ち上がってくる。キルドレたちが生きる地上世界に流れる時間と、彼らの気分を丸ごと描くという「スカイ・クロラ」のテーマを実現する為にも、VEは、欠かすことの出来ない、最後の一筆なのである。

 次の2枚の画(A=左・B=右)を見比べて頂きたい。

seisaku_1-1b.jpgseisaku_1-_1a.jpg

 この2枚は、作品制作の初期段階に作られたテストカットであり、完成映像は、更に高いクオリティで制作されている。Aは、単純に、背景とキャラクターを重ね合わせたもの。後者は、江面がVEを加えたものである。その差は一目瞭然だ。
 はじめに、照明(光)に注目して頂きたい。このカットの時間帯は夕刻、画面に向かって左手に窓がある、という設定になっている。これから起こる「ある出来事」を予感させるべく、押井監督はこのシーンにおいて、次第に日が落ちてゆく時間的演出を盛り込んでいる。我々が生きる日常においても、午前と午後の日差しが異なるように、夕刻の、橙色を帯びつつ、次第に色彩が失われてゆく様が、見事に表現されている事がお判り頂けるだろう。AとBでは、観客に与える印象がまったく異なってくるのである。また、照明効果によって画面に光が生まれたことにより、逆に影も生じて、陰影が平面的なキャラクターと画面に奥行きをもたらしている点にも注目して頂きたい。
 また、一見しては判らないが、キャラクターの肌に目をこらして頂くと、ツルッとした単色のAに比べ、Bではこまかな粒子が確認できる筈だ。これは、実際にフィルムで撮影された際に生じる粒状を再現したものであり、また、実写であればカメラのレンズと対象物の間に存在する空気やホコリ、湿度等を、観客に感じて貰う為に加えられている。「スカイ・クロラ」では、全てのカットに対して、押井と西久保の綿密な打ち合わせの下、江面のVEが加えられた。また、今回新た試みられたのは、物語の舞台となったアイルランドの、圧倒的な空を表現する為に、平面で描かれた背景美術の空に、三次元の空間を設定し、手描きの背景を貼り付けて動かすことによって、実際のアイルランドの雄大な雲の動きを表現している。劇場で、押井監督以下スタッフが、アイルランドの空の下で感じた空気を、共に体験して頂きたい。


■ 自らのイメージを、全ての劇場で再現する為に

 アニメーションの制作現場がデジタル化する事によって、ひとつ大きな課題が生じている。それは、PCのモニター上で作り込んだ映像の色味やトーンを、劇場におけるフィルム上映時に、いかに再現するかというテーマである。
 詳細は省くが、PCのモニターに映し出されている映像は、RGB(RED/GREEN/BRUE)の光の三原色で表現されているが、フィルムにプリントされる際には、フィルムを感光させており、その原理はまったく異なる。普通にプリントしてしまっては、制作者がイメージした映像が、正確に観客に届くことはない。両者の色味の統一をはかる技術をCMS(Color Management System)と呼ぶが、「スカイ・クロラ」においては、最終的に完成したデジタルデータによる映像を、DLP(デジタルシネマ)の大画面で上映しながら、押井監督立ち会いの上で、最終的な映像調整(グレーディング)が行われた。DLPの映像は、フィルムにプリントする色味や色調とのDMSがはかられており、実際の上映環境に限りなく近い環境で、監督・演出・VE担当が、シーンごとに映像を作り込んでいった。日本のアニメーション作品で、このシステムが使われたのは初めての事である。