iPhoneにはホームボタンが必要、イヤホンジャックも必要でそれが無くなるなんて信じられない、なくなったiPhoneはiPhoneではない。
そのような意見が出ていることもありました。iPhoneのホームボタンがなくなることには本当に多くの文句が出ていたのです。
私もiPhone使いではあるのですが、イヤホンジャックが無くなったということに関しては不便を感じていました。
無線ではなく有線で音楽を聴きたい派、バッテリーの充電の心配をしたくない派だったので有線を使っていたのですが、イヤホンジャックがなくなることによって、変換パーツを使わなければいけなくなりました。
PC等はイヤホンジャックを使って作業することがあるので、変換パーツは不要になります。PCとスマホで今まで同じ環境できたものが、変換パーツが一つ入ることで不便になってしまいました。
私自身は今でもそこまでイヤホンジャックが無くなったことに対して良いとは思っていないのですが、世の中ではもうすっかり受け入れられることになりました。
ホームボタンもいざなくなったら何の問題もありませんでした。今までと操作方法が変わることによって最初は違和感があるかなと思いましたが、そんなことを感じたのは本当に数日だけ。
あっという間に操作には慣れて今ではiPhoneSEを見てホームボタンがあるのが邪魔に思えてしまうぐらいです。ホームボタンを設定することによってその部分をスクリーンを小さくなるのであれば、ボタンをなくして画面を大きくした方が良い。そう感じるように考えが変わりました。
人の評価・意見なんて適当で正しくない
ここで思った事なのですが、人の評価と意見なんて全然正しくないのでは、利用者の意見なんてヘタに聞かないほうがいいのではということです。
もし利用者の意見を聞いていてホームボタンが素晴らしいというような話をずっと信じていたら今のようなiPhoneは誕生しなかったことになります。
こういう話は他にもたくさんあるのではないでしょうか。利用者の意見を聞いてその意見を集めていけば良い製品が生まれるなんてことはありそうでない事のように思います。
一般の利用者はそんな革新的なことを想像できるわけではありませんし、現状に関する不満しかありません。そして新しいものを受け入れられない、拒むというような傾向もあるように思います。
こんなものは使えないと思ったけれどもいつ発売して、使ってみたら便利だった、使うことになってしまった、 そういうものがたくさんあるはずです。
サービス開発には多くの人の意見を聞くという話ではなく、もっと独自の視点で先を見て行かなければいけないのかもしれません。