寿司屋の修行には意味がない?~多動力を読んで~

寿司職人

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堀江貴文氏の多動力を読んで最初に出てくるのが、寿司屋の修行には意味がないという話。

これはこの本の話だけではなく、よく堀江氏の話、主張としては出てくることです。

寿司屋で長年修行するよりも、情報を専門学校等で身につけた方が早いという理論、これについてはどう思いますか?

長い期間修行をするという意味

寿司屋で長い期間修行して得られることは何なのか?ということがあります。

長年勤めることで毎日のオペレーションであったり、技術は身につくというのは当然のことですが、基本的に師匠から積極的に教わるのではなく、下積み作業をやりながら、技を盗めというスタイル。

長時間の修行をすることで人間的に磨かれていったり、寿司屋としての立ち振る舞いを身につけることはできるかもしれませんが、時間がかかる、無駄な作業をしているということは言えるかもしれません。

これに対してそんなことはないと主張している人は、現状の寿司職人に対しての敬意があったり、寿司を長年修行していた人に握ってもらいたいという芸術的な視点があるからということなのかもしれません。

寿司の長い伝統を簡単にひっくり返すべきではないという意見、これも一理あるかもしれません。

イノベーションを起こす考え方

伝統であったり、既存の職人さんに対しての敬意は当然軽視するべきではありません。

また本当の超高級店に関してはそうした伝統の中で生まれてきたということで、一種の芸術、エンターテイメントとして存在する世界はあっていいと思います。

ただ、効率的かどうか、本当にそうしないと味や雰囲気が再現できないか、これについては疑いをもって見直してみるということも今の時代十分良いことなのではないでしょうか。

別に絶対に常識を疑えというわけでもありませんし、堀江氏の絶対的に信者というわけでもありません。

ただ、それでも本当に良い寿司というものを作り出すことに対して、これまでのやり方以外のやり方もあるのではないか、という考えを持つことも大事なのではと思うのです。

現に多動力の著書の中でも大阪の「鮨 千陽」というところでは、専門学校で学んだだけの人が一流店として選ばれたという結果も出ています。

今までに結果を出してきた人を否定する必要はありませんが、別のやり方でも結果を出す人もいる、という考えを持って、別のやり方を考えてみることもイノベーションに繋がるのです。

楽をするのが良い悪いという話ではない

厳しい修行をするのは良くなくて、もっと楽をしてノウハウ等を身につけるべきだという意見が出てくると、どうしてもそんなに楽をして身につける技術なんてろくなもんじゃない・・というような感想も出てくるかと思います。

ただ、決して楽をして、技術を身につけろということではなくて、効率的に身につけるものは効率的に身につけて、それによって空いた時間を使ってさらに別のことをやって自分の能力を高めていけという話なんですよね。

寿司職人はあくまで例の一つであって、国際的な競争にさらされているものも多くある中で、泥臭い修行が正義なのかというとそれでは負ける分野もたくさん出てきてしまいます。

できることはなるべく効率的に、そしてさらに力をつけていかないとこれからの時代に生き抜けなくなってしまうことは起こりうるのです。

寿司屋であっても、長年の修行がいらずにレベルの高いものが出きるとなると、そのノウハウで繁盛して、既存の寿司屋を脅かすかもしれません。

寿司というとどうしても日本人は日本の伝統面を考えたり、芸術的側面を考えるのでそう見えるだけで、これがラーメン屋であれば多少見え方は変わるでしょうし、さらに普通の飲食店であればもう修行なんかはどうでもよくて、とにかくおいしいものを気持ちよく出してくれればと考えますよね。

黙っていても世の中はどんどんイノベーションが起こり続け、既存の方向のまま、正しいと思っていてもそれが廃れていくということはありえるのです。

炎上ネタにそのまま乗っからないこと

堀江氏の毎回の主張となる寿司屋の話は、ちょうど寿司といういかにも伝統が重要そうなところを否定することで炎上するネタになったということもありますし、また敢えて炎上を狙って話題化したと思えるようなところもあります。

炎上はいろいろな面でマイナスになる影響もありますが、この方の場合炎上がおいしい、話題になればなるほど賛同者も集まりますし知名度を上げていった方が有利という立場にいます。

既存の寿司職人に失礼、言い方がひどい等で怒る人もいるかとは思いますが、あまりこの件で怒っても意味がありません。

言い方についてはこの件に限らずどうかと思うこともありますが、この人はそういう人だと割り切るしかありません。怒ったところで誰も1円の得にもならなければ堀江氏に意見が届いて考えを変えてくれるわけでもありません。

ただの炎上ネタに乗って自分自身で余計な感情を抱くよりも真意について考えた方が有益になるでしょう。

常識を疑うということは大切なこと

寿司屋の修行がどうかという話から始まりましたが、本質としては寿司屋の話ではなく、自分自身が常識を疑って、効率的なものを追求していく、競争に勝つべくものを追求していく必要があるという話でした。

あくまで市場競争の話であって、芸術・伝統芸能の領域に踏み入るという話ではありません。

普段の会社においても、毎回こんなことが行われているけど実は無駄ではないか、新人は修行としてこんなことをしているけど本当は意味がないのではないか、上司の意思として慣習的に行われている内容も本当に意味があるのか?

こんなことはよくある話ではないでしょうか。
無駄なものは無駄なもの、改善が必要なものは改善が必要としっかりと自分の意見を言って、自分の所属する組織を変革していく必要性があるでしょう。

それができない職場は業種にもよりますがどんどん時代の波にとり残れていくのみです。

運悪く自分がいくら頑張ってもどうしようもない、改善する術がないという職場で働いている場合、自分自身も非効率な成長となってしまい、その会社に一生いるのであればいいですが、そうでないとキャリアとしてマイナスになってしまう可能性があります。

そうならないために会社に見切りをつけて転職をしたり、会社にとらわれない生き方をする、スキルを身につけていくということを考えた方がいいかもしれません。

 

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